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受け継がれた美と
歴史的・芸術的価値に
魅せられて。

神戸大学名誉教授
足立裕司 (あだちひろし)先生

1949年兵庫県生まれ
1975年神戸大学工学研究科修了、設計事務所勤務を経て1977年より同大学にて研究・教育活動に従事。助手、講師、助教授を経て1998年より教授、2014年より名誉教授、現在、足立裕司建築研究所を主宰。専門は、近代建築史・建築論および保存・修復。
兵庫県文化財九鬼家住宅、同志社女子大学ジェームズ館、旧木下家住宅(日本建築学会作品選集)などの歴史的建造物の保存修復工事も手がけている。

1986年(昭和61年)より長年にわたって、
鴻池組旧本店の調査・研究に関わってこられた神戸大学名誉教授 足立裕司先生。
研究にかける想いや旧本店が持つ文化財的価値について、お話をうかがいました。

偶然にして
運命的な出会い

これまでの研究人生において、鴻池組旧本店ほど印象に残る出会いはありませんでした。その存在を知ったのは、兵庫県川西市にある旧平賀義美邸(現川西郷土館内)プロジェクトを、鴻池組とご一緒した時のこと。雑談で「実は社内でも一部にしか知られていない創業者の旧邸宅がある」と聞き、ぜひこの目で確かめたいとお願いをしました。

旧本店を初めて訪れ、セセッション様式の外観をひと目見て、「これはすごい!」と驚きを禁じえませんでした。旧本店の隣は、伝統的な構えをもつ大阪の町家建築。本当にびっくりしました。さらに内部に案内されて、上階の応接室にアール・ヌーヴォーの室内空間が広がっていることに驚かされました。当時の技術研究所長だった吉田正三さんにお尋ねしたところ、旧本店の棟札には久保田小三郎の名が残されていることを伺い、中之島図書館の現場を差配していた人だと思いました。関西の主要な洋建築は調べ尽くされたと思われていただけに、隠された宝を発見したような気持ちでした。

帰宅してから、久保田小三郎は旧松本健次郎邸(福岡県北九州市、明治44年竣工)の設計・建設に携わっていたのではないかと思い、見学時の写真を確かめました。記憶の通り彼は“アール・ヌーヴォーの館”と呼ばれていた旧松本邸の棟札に名前を残していました。この邸宅の施工は実質的に鴻池組が担っていたことから、旧本店とはいわば姉妹のような関係になることが判ってきたのです。私は、旧本店の調査・研究を吉田さんとその下におられた藤岩和文さんとともに行い、1989年にその成果をまとめて発表を行いました。その後も日本のアール・ヌーヴォーについての研究は、私の研究テーマである武田五一という建築家にも関連するだけに続け、10年後に「住友臨時建築部と日本のアール・ヌーヴォー1,2」という表題で発表しました。旧本店のアール・ヌーヴォーとの出会いが契機となった研究であり、これほど魅力的な研究対象に出会えたことは、本当に幸いでした。

空間が語る
創業期の姿

旧本店は洋館と和館からなる和洋館併置型であり、鴻池組草創期の商店(ミセ)と創業家の居宅がペアで現存している稀有な例です。和洋併置の住宅は全国に散見されますが、伝統的な住居と時代の先端を行く商店が隣接する和洋併置の建築は珍しい。のちに有力なゼネコンへと成長した鴻池組の旧本店は独自の価値をもっています。

旧本店は日本の経済成長を支えた企業のルーツの姿を、鮮やかに私たちに伝えてくれます。1階では従業員が働き、社長室や接待用サロンが上階にあり、居宅である和館とは扉一つで行き来できます。老舗企業の創業期の姿の一端を垣間見せてくれる建物といえるでしょう。経済史という観点からも、とても示唆に富む建物です。

創業者の鴻池忠治郎が暮らした和館も、非常に洗練されたデザインです。正面は大阪町家の外観を持ちながら、反対側の座敷は当時の文化人が憧れた数寄屋造り。伝統を重んじつつも進取の精神に富む忠治郎の気質がうかがえます。

アール・ヌーヴォー
開花の土壌

19世紀末から20世紀初頭の西欧に興ったアール・ヌーヴォーは、歴史上の様式を手本とする様式主義から脱却し、王侯貴族でも資本家でもない、市民の価値観に添った新しい都会的な意匠を提唱しました。

アール・ヌーヴォーの流行は世界を席巻し、明治末から大正期にかけて日本にも伝播しました。大阪では、住友本店臨時建築部で活躍した建築家 野口孫市、日高胖らが、アール・ヌーヴォー建築の先駆者となりました。そこに密接に関わっていたのが久保田小三郎と相原雲楽です。おそらく彼らから豊富な資料を提供され、質の高いアール・ヌーヴォー建築を体現できる技量と知識を備えていったのでしょう。

旧本店は、1910年(明治43年)に完成していますが、1914年(大正3年)にステンドグラスや2階のアール・ヌーヴォーの室内装飾、水洗式トイレといった部分が改装されています。通常では、完成からわずか4年後の改装など考えにくい。また、改装後の意匠は旧松本邸との関連が強いことから、旧松本邸のアール・ヌーヴォーの斬新な意匠の報告を受けた忠治郎が「ぜひ伝法でも」と熱望したのではないかと考えられます。

日本のアール・ヌーヴォー建築は、主に博覧会や商店建築という分野において開花しましたが、保存の対象となる前にほとんど姿を消してしまいました。往時のアール・ヌーヴォー建築の典型が、秘された花のごとく旧本店に残っていたことの歴史的意義は、計り知れないものがあります。

*住友営繕

住友の事業拡大に伴う社屋建築のため、明治33年(1900年)に創設された住友本店臨時建築部。野口孫市(のぐちまごいち)を技師長に据え、日高胖(ひだかゆたか)、長谷部鋭吉(はせべえいきち)など、優れた建築家を輩出。現在の日建設計の前身となった組織です。

稀代の匠たちによる
美しい協奏

久保田小三郎は、日本建築界の元勲・辰野金吾が創設に加わった工手学校出身の建築家のなかでも、特筆すべき存在です。旧本店では和・洋両館の設計を、旧松本邸では洋館の現場監督と和館の設計を担当した実績から、実務に長けたオールラウンダーであり、数々の現場で重宝された人物像が浮かび上がります。

洋館のステンドグラスを製作した木内真太郎は、“日本のステンドグラスの祖”とされる宇野澤辰雄の弟子であり、建築も修めた人です。施主や建築家の意向を反映し、建築空間と調和するステンドグラスを創出しました。関西を中心に多くの作品を手がけ、日本初のステンドグラス工房を立ち上げました。

こうしてみると、旧本店は、意匠と造作を見事にこなす匠によるチームワークと手仕事の結晶と言えます。昭和期に入ると、建築や室内意匠は分業化・工業化の道をたどり、彼らのような匠は消えていくことになりました。また、日本建築界の黎明期を牽引し、旧大阪図書館の現場を手がけた気鋭のチームが商店建築に携わったというところに、当時の鴻池組の先見性がうかがい知れます。

鴻池組旧本店の
一般公開にあたって

このたびの国登録有形文化財への登録が、旧本店の価値と魅力を広く伝えるための、はじめの一歩になることをうれしく思います。ぜひ、繊細な造作にダメージを与えないよう、希少な建築美を鑑賞いただくことを願っています。

見どころポイント

  • 洋館2階 応接室 暖炉

    暖炉の上部や両側の棚の曲線などに、英国のアーツ&クラフツ運動から発展したアール・ヌーヴォーの影響が見られます。優美な花を描く簡潔なラインは、フランスの肉厚の装飾的な扱いとは趣を異にします。“簡潔にして、淡泊なアール・ヌーヴォー”とでも言いましょうか、日本的な美意識が反映されているようにも思います。

  • 洋館1階 ステンドグラス

    玄関ホールと事務室の両側から意匠を眺められるステンドグラス。質感のある凸凹したガラス面は玄関側に向けられており、玄関を表側としてデザインされたと想定されます。製作者の木内真太郎は、関西の有名な近代建築のステンドグラスといえば、すぐ名が思い浮かぶほどの大御所です。

  • 和館2階 座敷 欄間

    床の間の欄間を飾る鳳凰の透かし彫りに、相原雲楽の銘が刻まれています。繊細な彫刻で一部欠損しているところに、歳月と暮らしの跡が感じとれます。和館の階段の2階の親柱に刻まれた見事な獅子の一刀彫りなどに雲楽自身の手によるものが確認されます。

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