まじめに、まっすぐ 鴻池組

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鴻池組発祥の地・伝法ってどんなところ?

伝法は淀川水系が大阪湾に流れ込むデルタ地帯に位置し、陸路でも西国に向かう街道筋にあたります。古代から国内外の人々やモノが行き交う交通の要衝でした。

伝法という地名の由来には諸説があります。たとえば、百済からの使節が大和朝廷へ公式に仏教が伝えた際の上陸港で、いわゆる「仏教公伝」の地であることにちなむとする説。また平安時代末期に高野山内に伝法院を建てる際、建材を伝法から荷揚げしたことにちなむとする説。さらに、天竺(インド)の僧侶が伝法に渡来し仏法を伝えたことにちなむとする説などです。いずれにしても仏教と深い縁があり、古代東アジア世界と日本を結び、知識の伝播や水運・陸運を担う人々が行き交う要衝であったことを示唆しています。

また海上交通や安全に関わる神社もあります。そのうち鴉宮神社は、もともと傳母頭(もりす)神社といいましたが、豊臣秀吉が海路で出兵する際に八咫烏が瑞兆を示し、鴉宮と呼ばれるようになりました。

明治期の伝法川と鴉宮神社(右端)

江戸時代に入ると、河口部と大阪市中をつなぐメインルートを新たに開削された安治川筋に譲りますが、伝法の船頭衆は江戸幕府から特別な役割を任され続けました。将軍上洛や老中巡視、大坂城代の更任往来、さらに朝鮮使節来朝の送迎役などは、伝法の船頭衆が務めるのがならわしだったのです。

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